私たちのよく知っている格付けがワインに採用された理由は?

Tasting 雑学

最近、テレビで芸能人格付けチェックと言う番組があるのをご存じですか。一流芸能人たちがチームを組んでさまざまな問題に挑み、間違えるごとに一流→普通→二流→三流→そっくりさん、そして最後には“映す価値なし(画面から消滅)”とランクがどんどんダウンしてゆく、元祖格付けバラエティーの決定版!

日本を代表する一流芸能人たちがプライドとメンツをかけ真剣勝負を展開するという内容です。
 
ワインにも実は格付けがあります。格が高いワインやそうでないワインが存在して、何が違うんだろうと不思議に思ったことはありませんか。その格付けについて簡単に解説したいと思います。

それは、万博から始まった……

Paris

1855年に第1回パリ万国博覧会がフランスで開催されました。その前に1851年にイギリスでも第1回ロンドン万博が開催されて、世界の注目を浴びていました。

イギリスは産業革命の真っ只中で鉄やガラスを建築物に取り入れ技術力の高さを誇っていたそうです。フランスもイギリスに負けまいと野心を燃やしていました。

ナポレオン3世は万博の農産部門の目玉にワインを選んだのです。ワインは既にイギリスなどにも輸出していましたが、この万博をきっかけに世界へ市場を拡大しようと考えていました。そのためにも早急にワインブランドの立ち上げと格付けを急いでいました。

ワインの格付け

ナポレオンは既に輸出を始めていたボルドー地方のワインに目を付け、ボルドー市に格付けを命じました。そして、市の依頼を受け商工会議所が格付けをしたそうです。

しかし、商工会議所でも格付けが難しく、もめにもめたそうです。商工会議所はボルドーのシャトーに「サンプルとしてボトルを6本送るよう」依頼しましたが、大人数で試飲するには足りませんでしたしサンプルを出さないシャトーもあったそうです。

面倒になった商工会議所は、1855年4月5日、ボルドーワインを熟知している仲買人組合にたので仲介人組合(今で言う問屋さん)にお願いしました。

これまでのワインの取引価格、取引量等を参考に仲介人組合はメドック地区の60シャトーを1級から5級の5段階で評価しました。

本来なら仲介人組合の組合員が一堂に会し、61シャトーの優劣を吟味し格付けするのに数ヶ月時間を要したはずでした。しかし、仲買人の一人(当時の大手仲買人、ロートン家の3代目当主、エドワード・ロートンと言われています)が、自分の試飲経験とワインの1樽の価格(ロートン家の取引価格)を参考に2週間で61シャトーの全ての格付けを決めたそうです。

格付けの変更

メドックの格付けシャトーの数は、以下の経緯で「57」から「61」になりました。

1855年4月18日

最初の制定では、メドック地区から56シャトー、グラーヴ地区から1シャトー(オー・ブリオン)を選び、57シャトーが五つの級に格付けしました。

1856年の追加

カントメルルの追加により、これで、57 + 1 = 58になりました。

カントメルルがなぜ、翌年に追加されたのか?記入漏れなのか、何かの政治的な配慮か、明確には分かりませんでした。

消えたシャトーと増えたシャトー

シャトー・ドゥビニョンをご存知の方は、相当なワインマニアです。1855年当時、マルゴーの3級格付けのシャトー・ドゥビニョンが同じマルゴー村のマレスコ・サンテグジュペリに吸収され消えました。

また、マルゴーの4級、プージェ・ラサールも、プージェに吸収され消滅します。

こうして二つのシャトーが減りました。

そして、吸収合併で消えたシャトーがあれば、分裂で新たに誕生したシャトーもあります。

ポイヤックの2級、ピション・ロングヴィルが、「ピション・ロングヴィル・コンテス・ド・ラランド」と「ピション・ロングヴィル・バロン」に分裂しました。同じポイヤックの5級、バタイエも「バタイエ」と「オー・バタイエ」に分裂しました。

サン・ジュリアンの2級、レオヴィルが、「レオヴィル・ラス・カーズ」「レオヴィル・バルトン」「レオヴィル・ポワフェレ」の三つに分裂しました。

マルゴーの3級、ボイドが、「カントナック・ブラウン」と「ボイド・カントナック」に分裂しました。

以上で、五つのシャトーが増えました。

格付けの変更

これが、最大の変更でしょう。1973年、ポイヤックの2級の筆頭格のムートンが1級に昇格しました。格付けの変更はこれが最初で最後だと言われています。

当時ポイヤック村に存在するシャトーでロートシルト家であるが故、ライバルとしてワイン造りがスタートしたのが、ラフィットとムートンです。そしてラフィットは1級、ムートンは2級という格付をされてしまうことで、ムートンのプライドがズタズタになってしまいました。

ムートンが2級になってしまった理由は定かではありませんが、ラフィットはフランスのパリのロートシルト家の系列だったので肩を持って1級に、ムートンはイギリスのロンドンのロートシルト家の系列だったから2級にと言う話もあったそうです。

メドックの格付け2級という屈辱を受けたシャトー・ムートン・ロートシルト。まず、1級へと進むために高品質ワイン生産への取り組み方を一新します。畑ではカベルネソーヴィニヨンを中心に栽培し、栽培方法なども全て見直します。

さらには、醸造方法も以前のやり方とは打って変わり、革新的な方法なども駆使しながら重厚感のある素晴らしいワイン造りを目指し日々奮闘を重ねていきました。

格付2級というレッテルを貼られた時に、ムートンが残した言葉として有名なのが、「1級にはなれないが2級には甘んじれぬ、ムートンはムートンなり」というものでした。

まとめ

Crowds of people of all nationalities standing around an information kiosk at the 1867 Paris Exhibition (International Exposition), reading leaflets, maps and booklets. From “The Family Friend – with illustrations by First-class Artists”. Published by SW Partridge & Co, London, in 1877.

最初は万博のためだけに軽い気持ちで付けた格付けでしたが、広く世界にワインが流通し始めると、格付けがワインの評価に結びつき、フランス国内でワインの生産地に導入され始めました。

格付けは、ワインの質や生産地の質を分かる形でランク付けしたものだと言っても過言ではありません。

今後フランスワインを選ぶときは、かつての格付けの歴史に思いを馳せながらワインを手に取るのも良いものです。

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